Mの日記

自由に書きたい。

仔猫ものがたり

あれは、1996年の7月7日の事だった。
時間は夜の九時過ぎだったと思う。その頃はまだエアコンを
取り付けてなかったので、ベランダの窓をあけて夫とTVを見ていた。
すると窓の外、公園の方から鳴き声がした様な気がした。
空耳かと耳を澄ますと確かに小さいが聞こえる。
ミャ〜・・・・ミャァ・・・・と。
子猫の声だ。しかも、とても小さい子猫の鳴き声だ。


公園に探しに行った。公園の中は暗くてよく見えない。
一旦戻り、懐中電灯を手にもう一度探す。
いた!! 子猫!!
二匹いる。黒いコとハチワレのコ。
ほんとうに小さくて生後まもなく?のようだ。
しかも、蟻が体にたくさんついて・・・。
近くにお母さん猫がいる様子はない。捨て猫

2匹を手に急いで家に戻った。
こんな小さな仔、触ったことがない。
身体を拭き、お尻を刺激して排尿、排便をさせた。
よし、上手くいった。
次はミルクだけどこんな時間じゃペットショップは開いていない。
仕方ないので、私の勤めてる薬局に行き、人間の赤ちゃん用の粉ミルクの
サンプルをもらいスポイドで飲ませる。あまり上手くいかなかったが
とりあえずは少し飲んだ。

次の日、夫に「このコ達どうしよう?」と聞くと
「うちで、飼えるわけない、公園に置いてこい、誰か拾って
くれるよ」と言う。
動物禁止の住まいだった。
私は「嫌だ」と言ったが、この日仕事は絶対に休めなくて
それに、夫に歯向かうことは出来ない。

朝、かなり迷ったが家にあったダンボールにタオルを敷き雨に濡れないように
青いビニール袋で軽く覆い窒息しないように工夫し
人目のつきやすいところ二匹をいれへ置いた。
「どうか、誰かに拾ってもらえますように・・・」祈った。

仕事から急いで帰って、私がダンボールを置いた場所を見に行った。
ダンボールが無い。
「あ〜・・・良かった。誰か優しい人がつれて帰ってくれたんだ」
淋しかったが仕方ない。ホッとした。
家に帰ろうとして向きを変えたときに、ふと少し離れたゴミ置き場の方に
目がいった。

えっ?!
あれは!!

青いビニール袋の中にダンボールのようなものが見えた。
「まさか、まさかね・・・違うよ、きっと中に子猫たちはいないよ。
でも、いたら?・・・・・。いたら、・・・きっと死んでる・・・。」

生まれて日がたっていない、ずっとミルクも飲んでない。
袋の口は縛ってあるように見える
季節は夏。

どうしよう・・・。
確かめなくちゃ。でも・・・・怖い・・・。
勇気が出ない・・・。
私は家に帰ってしまった。
ベランダからずっと公園を見ていた・・・。
どうしよう・・・動けない・・・

そこへ、ちょうど友達が来た。
私は意を決した。「よし、見に行こう。もし、いや多分・・死んでる。
せめて、埋葬してやらなくちゃ・・・。」

友達に昨日からの経緯を話し、付き合ってもらった。
ゴミ置き場に向かった。
公園内に入りあと、二、三歩というところで音がした。
音というより声。かすかに聞こえる!鳴き声だ!
私は、急いで袋を破った。いた!二匹とも生きてる!!
良かった!良かった!!!

私は二匹を手に家に戻った。
「ごめんね。ごめんね。捨てたりして。もう、大丈夫
何があっても私があなた達の事、助けるから!育てる!」

黒い子を「クロ」ハチワレの子を「ミー」と
名付け子育てが始まった。
動物病院に子猫用の粉ミルクと哺乳ビン買いに行った。
上手く飲んでくれるか不安だった。でも、その心配は
すぐに消えた。目はもちろん開いていないが、哺乳瓶を口元にもっていくと
吸い付いてきてミルクを飲んだ。感動して涙が出た。
そして、自分の行動を悔やんだ。
一度出逢ったのに捨ててしまった自分はなんて奴だ・・・最低だ。

クロの方がミーよりも一回り小さかったけどミルクはたくさん飲んだ。
仕事も昼休憩には自宅に戻りミルクを飲ませた。
夜は2〜3時間おきにミルクをやるために毎晩起きていたので
睡眠不足は辛かったけど、私の手を母猫のオッパイを押すようなしぐさをして
ミルクを飲むこのコ達が愛しかった。

ミーの方が便秘になったので病院に連れて行くと
マルツエキスを処方された。これならうちの店にあるのに・・・
人間の赤ちゃんの便秘用に売っていた。
良く効き、ウンチがでると、とてもホッとして喜んだ。

毎日、料理用のスケールで体重を測りメモした。凄い早さで大きくなる!
すくすくと育っていって目が開き愛くるしくなっていった。
離乳も上手くいき、トイレもすぐに覚えた。猫って賢い。
二匹で、仲良くケンカした。家の中がとても賑やかで絶えず笑いがあった。
と同時に別れの時が近づいていた。

最初の約束で離乳が過ぎたらここでは飼えないから手離せと夫に言われていた。
私は、別れるのが嫌で里親を探さずダラダラして時間をかせいだ。
もしかして、夫が諦めてくれるかもしれないと思ったから。
ある日夫は、二匹を抱きかかえ出て行こうとする。
「やめて!!やめて!!ちゃんと探すから!!捨てないで!!」私は泣いた。
ヘタクソな手書きで里親探しのポスターを書いてあっちこっちに張った。
ほどなくミーの里親が決まった。

引渡しの日がきた。相手の方はお父さん、お母さん、小学生の姉弟の4人家族だった。
「おっとりした良い子です。少しお腹が弱いです。気をつけてやってください。
それから、砂は固まるタイプが好みです。それから掃除機が怖いです
それから・・・・。・・・・・・。どうぞ・・・、どうぞよろしくお願いします。」
涙が止まらなかった。

クロの方も数日後、勤務する薬剤師さんの自宅近所のお宅が里親に決まった。
クロをそのお宅まで連れて行った。先住猫のいるおじいさんの一人暮らしだった。
可愛がってくれると感じた。ミーの時よりも落ち着いてさよならができた。

あっという間に過ぎてしまったけれど、
ほんとうに楽しい日々。子猫を育てたことは貴重な体験だった。

 

 

ツムラの中将湯

私は31歳から41歳までドラッグストアで働いていました。

私の母の年代の方は1度は試してみたり、
昭和の時代、家庭にひと箱あったりしたのではないだろうか。
数種類の生薬がティーバッグのなかに入っていて、
1日3回、食前に服用。
最初は紅茶のように振だしで、3回目は煮だして服用する。

効能は、
月経、更年期障害に伴う頭痛、
肩こり、腹痛、腰痛、冷え性、のぼせ、
めまいなどの症状を改善する。
女性の「血の道症」に効果がある。
血の道症とは…>
月経、妊娠、出産、産後、更年期など女性のホルモンの変動に伴って
現れる精神不安やいらだちなどの精神神経症状および身体症状をいいます。
今でいうところのPMS月経前症候群)なども含まれると思います。

小学生の頃、家に帰ると時々、変な匂いがした。
この中将湯の匂い。小学生の私には漢方薬の匂いは強烈だった。
そして、晩御飯は出前やスーパーのお総菜だった。
働き者の母は、寝込んでいた。

母も、密かに戦っていたのだなぁ・・・
中将湯は、初期の風邪にも良いです。
初期とは、「風邪のような?風邪じゃないような?」の時です。
喉が痛い、鼻水が出る。熱が出た。咳がゴホゴホ
は、すでに初期ではありません。
そして、まだまだ使えます。
使用後のものを捨てずにとっておいて、ある程度溜ったら
お風呂に浮かべて入浴剤として利用。それから乾かして、
枕に入れて眠ると良い(アロマテラピー効果)
とメーカーさん(ツムラ)の人が言ってましたが、
そこまでは・・・しないよなーーー。

滅多に売れない商品でしたが、年配の方には
需要がありましたね。

 

この中将湯は服用したことがないのですが、
30代の頃に煎じて漢方薬を服用していました。
部屋中に匂い漂う・・・
でも不思議なことに慣れると落ち着く匂いとなりました。
あら?これって腹痛に正露丸?と同じ効果?嗅ぐだけで治る(笑)
日露戦争のときに、軍人さんに持たせたあの、正露丸です。

正露丸って効能に「虫歯」ってありました。
勿論、飲むわけではなく虫歯の穴に詰めるという使い方です。
これは、主成分である木クレオソートが虫歯の鎮痛・鎮静に効果があるためです。
でも、それで虫歯が治るわけではありません。
それに、詰めてる間ずっと正露丸臭が・・・辛いし。
勇気を出して歯医者さんに行った方が良いです。
でも、今治水のほうがよく売れていましたね。

猫さんと私

クレオパトラという名のペルシャネコだった。
小学5年生?頃の話。
近所のパン屋さんで飼われていた。

当時は洋猫を飼う家は少なく、完全室内飼いだった。
パン屋さんは良く行っていたので何度も見かけた。
ある日その白くて美しい、愛称パトラちゃんが空き地にポツンと一匹でいた。
通りがかった私は、「これはいけない連れて帰ってあげなくちゃ」と
勝手に思い、「パトラ♪おいでかえろー」と手を伸ばした。


次の瞬間。
パトラは私の右手に思いっきり噛みつき、
前肢の爪をガシっと食い込ませた
驚いて右手を一生懸命に振るけど、全く離れない。
私は、ビックリしたのと痛みで大泣き。
何度、腕を振っただろうか?やっと離れてくれた。
走って家に帰ると母に滅茶苦茶怒られた。
「あんたが、いらんことに手をだすからよ!」

ふえーん・・・そんなぁ・・・

手の甲に何か所か穴があいているような感じ(うろ覚え)
母は、赤チン(当時は主流)を流しかけた。

騒ぎを知った近所の人が
「猫にかまれたら病院へ行った方が良い」と言われて行くことに。
あぁ、そうそう土曜日の夜だった。

近所の外科を開けてもらった。
実はお向かいの八百屋さんのおじちゃんも噛まれていたので
おじちゃんも一緒に受診。

私の手は腫れあがってズキズキして眠れなかった。
傷は化膿して治るまでかなり時間がかかった。
今も薄っすら傷跡が残っている。
でも、包帯をしているので友達に「どしたん?」と言われるのが
嬉しかった。(子供あるある)

パン屋さんがレディボーデン(当時ハーゲンは存在していない)
の大きなカップを持ってきてくれた。
悪いのは私なのに・・・
と思いつつ兄と奪うようにしてあっという間に完食。

その手の傷よりももっと時間がかかったのが心の傷。
「噛まれるなんて・・・」
私はどんな動物とも話ができるんじゃないかというくらい
動物好きな子だった。特に犬とはいつも姉弟(笑)

でも、この一件以来、小さなヨチヨチ歩きの仔猫が傍に来ただけで
走って逃げるほど猫さんが怖くなってしまった。

猫さんがいそうな道は遠回り、
友達の家も猫さんがいるなら遊びに行かない徹底ぶりだった。


10年が経った21歳の頃、知人の家で
グレイのペルシャネコ「ララ」と出逢う。
私が噛まれた同じペルシャネコ・・・
ララは赤ちゃんを産んだばかりのお母さん。
本当にのんびりとした猫さんで
餌を取られてもシッポを踏まれても怒りもせず大人しいコ
それでも狩りとなれば機敏で勝利品は再々持ち帰ったと。

大人しいけど怖い!大丈夫そうだけどダメ!
あーーー触れない・・・怖い・・・

でも、このままでは死ぬまで猫さんを触れない・・・
そんなのは嫌だ。

かなり葛藤をしたけど、
飼い主さんの「大丈夫よ!」の言葉を信じて
勇気を振り絞り、手を鼻先に出してみた。

震える指先・・・
と次の瞬間だった。

 

ララは私の右手をザーリザーリと舐めた。
10年前に噛まれた同じ右手・・・
ララは立ち上がりノドを鳴らして私にスリスリしてきた。
なんて、可愛いんだろう。

心が溶けた瞬間だった。

ララと出逢っていなければ、私はそののちに出逢う
猫さんとの素敵な思い出も無かっただろうと思う。
ララさん、有難う。(=^・^=) 猫さんダイスキ。
感謝とそして、勇気は大事。と学んだ私でした。

煮込み料理

牛すじの煮込み。
味噌味など味をつけるものが多いと思いますが
私は所謂、関西風の少し薄いうどん出汁のような味付けです。
2時間弱煮込みます。とても柔らかく仕上がります。
出来上がったものにポン酢と小口切りした青ネギをたっぷり
そして、お好みで一味唐辛子です。

 

 

私は21歳から31歳までスタンド(スナック)で働いていました。
この料理は、そこで働いていた時にママに教えてもらいました。
他にもたくさんの料理や糠漬けや梅酒なども教わりました。
初めて、牛すじを処理するとき、ママに
「この肉を一口より小さめに切っておいてね」と言われました。
私は言われた通り切ったのですが、なかなかスムーズにいかず
時間がかかりました。
ひとつ失敗をしました。
肉は一度ボイルしてから切れば簡単だったのに
私は生のまま切ってからボイルをしたのです。
普通の肉と違い筋のある肉は切り難かったので時間がかかったのです。

ママに時間がかかっていることを指摘されました。
私は肉が切れにくかったと言い訳を・・・

「ボイルしたんでしょう?」

「はい、したのに切れなかったんです」(ウソです・・)

「そうなの」

ママは、私が順序を間違えていることを知りながら
間違いを指摘せず、知らぬふりをしてくれたのでした。

なので、この煮込みを作るたび嘘をついた自分を思い出し
ママ、ごめんねーと思います。

 あれから40年。ママとは今もお付き合いがあります(*^^*)

 

花壇の苦い思い出

小学3年か4年生の頃の話。
友達の家の近所で軟球ボールで遊んでいた。
そのボールが、ご近所のお庭に入ってしまった。
「すみませーん」と言ってみたけど
誰もいない様子。
仕方なく庭へ。するとボールは花壇の中にあった。
母も花壇を大事にしていたから大切なのは良くわかる。
その花壇の端や何もないようなところに足を着きながら
慎重にボールを取った。
とその時、家の人が帰ってきた。
「なにをしてる!」大きな声で怒られた。
「ごめんなさい、ボールが花壇に入ってしまいました。
でも、花とか踏んでいません」といったけれど
「やかましい!」と大きな声で怒られた。
私は早く花壇から出ようとして
花壇の囲いに竹のようなものでできた
(∩∩∩∩←こんな感じ)に足を取られて
足の甲を切った。今も傷跡があるということは
結構に血がでたのだろう。
それを見た家の人は「怪我がどうしたんね!あんたのせいじゃろう、知らんよ!」
と言い、家の中に入っていった。

泣いたと記憶している。
親じゃない大人に酷く怒られたのは多分初めて?
絆創膏くらいくれると思っていた。

そんな風に思うのは、人様の庭で花壇に入っていることを
悪いことと思っていないのだ。
「だって、ボールは取らないといけないし、花を踏まないようにした」
という自分を正当化する気持ちからなんだろう
と思う。子供ね・・・。

今、私が同じ場面に出合ったら?
私の花壇の中に子供が立っていたら?
「なにしてるの~!」思いはするだろう。
が、やっぱり血が出てる子供には怒りはしないだろうな。というか、怒れない・・・(;^ω^)


ラナンキュラスの葉が大分ワサワサしてきた。
はやく、春になって咲いて欲しい。
寄せ植えのエレモフィラニベアにも蕾が付いた。

考えても仕方ないこと・・・

昨年の夏に東の花壇で(うちは西の花壇)知り合った八十半ばの男性。

Kさんは、ぽつんと花壇の端に座り

「わしの花壇は、何も育たん・・・」とおっしゃる。

土の改良剤として腐葉土や堆肥を分けてあげて

耕して、おまけに早く育つコスモスの種もプレゼント。

秋にはキレイなコスモスが咲いた。

Kさんは、一日何キロも歩き元気いっぱい。

段々と日を追うごとにちょっと「なんだかな・・」の面が出てきて

LINEも異常にくるようになって・・・

夫の助言もあって、少し距離を置くようにした。

私以外にも沢山花壇をされている知り合いの方や友達も多い。

それでも、水をやっていないようなときには水撒きの手伝いや

花がらつみもしたりした。

季節が流れ、段々と寒くなってきて花壇も仕事がなくなってきた。

ほぼ、顔をあわせることはなくなった。

一人暮らし。奥さんとはかなり前に離婚し、娘さんは名古屋。

時々、ベランダから電気がついているのを見かけた。

12月半ば頃?部屋の電気がついていない。

入院でもしたのかな?と思っていた。

昨日の事、自治会長さんに久しぶりに会った。

Kさんの事を聞いたら年末に亡くなったと・・・

年齢的なこともあり、うっすらとそんな予感もしていたけれど

ショックだった。

意に反してでも関わってあげるべきだったのだろうか?

上から目線の言い方や有難う感がまったく感じられず、

段々とイヤだと思って距離を置いた。

それでも我慢してお付き合いをしたほうが良かった?

私はメンタルがおかしいので、こういった事柄に

滅法弱い・・・・ゆうべから体調を崩している・・・

 

 

 

 

 

サイズ選び放題のフォーマル

私はフォーマル(喪服)を三着持っています。

一着は24歳の時に母方の祖父が亡くなったときに購入。
二着目は父の葬儀の時。この時私は自分史上最高のおデブだった。
24歳の時のものが入るはずもなく・・・新しく購入
三着目は、母の一周忌の時。
4年前母が、亡くなったときにはおデブの時のものを着た。
24歳の時のものは入らない。
大は小を兼ねる・・・
サイズの合うものを買い行く時間はあったけれど
とてもそんな気持ちになれなかった。
一周忌で買うことにした。
あ、四着目があった。父の一周忌の時にセパレートのものを
買ったんだった。レースの入ったものだった。
もちろんおデブ用・・・

今日、クローゼットの除湿剤を交換した。
目に入った24歳の時の喪服。ちょっと着てみた。
かなり痩せてしまったのでピッタリになっていた。
デザインも古めかしい感じではない。
着用回数も少ないから傷んでいることもない、多分。
何度も処分しようと思ったけれど
持っていてよかった。

今の体系に合うものを買うとなるとまた出費だ。
ただ、これ、人に手伝ってもらわないと着れない。
背中のファスナーが五十肩であげられないという・・・(´-ω-`)
だから私のフォーマルは大・中・小とございます。
今更ながらですが、太ったり痩せたりするのはとても不経済です。

 

それから・・・
母の葬儀で、使用したパンプス
足を入れて立ちあがった瞬間に違和感が。
ヒールの先のゴムが加水分解という化学反応(分解反応)で
朽ちていて崩壊しました。
久しぶりに履く靴で起きるあるあるらしいです。

父の葬儀の時に買ったので14年経っていました。
急いで修理に持って行きましたが、結局買い換えました。
時々、確認したほうがいいですね。

この加水分解はスニーカーでも起こります。
数年で始まります。
湿気が良くないので、シューズボックスに履かずに大事に
仕舞っておくより日ごろから
履いている方が分解が遅れるようです。

理由として、スニーカーは履くことによって、
加水分解が起こりやすいポリウレタン(ウレタンゴム)
素材の中の空気が入れ替わります。
このおかげで、ポリウレタン(ウレタンゴム)が
水分と反応することを防いでくれるらしいです。

実際、ナイキのエアフォースワンが好きでよく履いていました。
一足は靴箱の中に保管。2年目で底部分がベタベタに。
かたや履き続けた方は5~6年経ってもベタつきはありませんでした。

加水分解。厄介です。
私が身近なところで経験したのは、自転車のハンドルグリップや
無印の折り畳み傘の持ち手部分。
ベタベタして気持ち悪い。初期ならアルコールなどで拭けば良いと
言いますが、結局はダメになります。

大好きな大事なものが経年劣化で壊れていくのは
哀しいことですね・・・( ノД`)シクシク