Mの日記

自由に書きたい。

兄、入院。

1月の中旬頃、鼻声になった兄。
風邪だと思う。といって市販の感冒薬を飲んだ。
3日経っても改善される気配がない。
もうしばらく服用した。

23日頃に
つばを飲み込むと喉が痛いといった。
「これは扁桃腺が腫れているな」と思った。
兄は「治るよ、そのうち」と言うが私は不安だった。
25日、「なんとか時間を見つけて病院に行った方が良い。
抗生剤が必要な気がする。」といったが
「時間はない」の一点張り。
26日(金曜)、「あした、午前中に高血圧でかっている内科にいって
喉をみてもらいんさい」と言った。
「うーん・・・行けたらの」

翌日、11時頃兄から電話があった。
「内科に行った。抗生剤が出た、ちょっと薬飲んで寝る」
「喉は?診てくれた?」
「見てくれんかった」
私は以前からその内科に不信感を抱いていた。
血液検査だけはこまめにする。が、
服薬しても血圧が今一つ下がらない
薬の量を増やすばかりで原因を調べてくれない。
薬の種類を変えることなく同じ種類を増量する。
腎臓の機能を調べることもしない。

どうしても気になる。嫌な予感がするのだ。
患部を見てもいないのに抗生剤だけ?安易だ。

兄に電話をして、
「今から耳鼻科に行こう。行った方が良い気がする」
本当に何か胸騒ぎというか・・・絶対に行かないといけないと思った。

無理やり耳鼻科に連れて行った。

耳鼻科で医師が診てすぐ「これは、大学病院に行って下さい。入院が必要です
窒息しますよ!紹介状を書きますからすぐに行ってください。」

となった。

扁桃周囲膿瘍」
CTの後、切開手術を受けた。
治療はうけたが、腫れが引かず稀に気管が塞がって窒息してしまうことも
あるので、その時は気管切開しますと言われた。

しかし・・・
内科で喉を見てもらえないことが却って良かったのかもしれない。
内科の医師は喉を見ても軽く考えて抗生剤で様子を見ましょう。
で終わっていた可能性がある。
そしたら、素直にそれを信じていた。
窒息の可能性があるのに。今、考えても恐ろしい・・・

だから、見なかったことで専門医を受診することができた。

兄は耳鼻科でも大学病院でも待っている間眠っていた。
相当疲労がたまっている様子だった。

社長の奥さんに電話して、状況を説明した。
随分と無理をさせてしまった、責任感が強いお兄さんに
甘えてしまっていた。
申し訳ないと何度も謝っていた。

10月から休みなく働いて睡眠時間もたぶん4時間程度だったと思う。
免疫力もかなり落ちていたと思う。

「痛い、しんどい、辛い」を言わない人、言えない人
自閉症も関係しているのかもしれない。
いいオトナだと言われても過保護だと言われても私が守るしかない。
と思った。

いまは、少しづつ良くなってきています。

ネットの調子が悪ーい事件

お久しぶりです。

数か月前からなんとなく重い?と思っていたけれど・・・
数日前からどうも重い・・・かなり重い。
い・・・いらいらする・・・(´-ω-`)

 

でも直った♡

 

そもそも、うちのネットは「VDSL方式」

光であって光じゃないのです。


VDSL方式は主に、マンションなどの集合住宅で
採用されている光回線の接続方式です。
特徴として、建物内の共用スペースまでは光ファイバーが使用され、
共用スペースから各部屋までは電話回線を使って接続しています。
途中で電話回線での接続に切り替わるため、
通信速度が遅くなることが特徴です。

・上り:50 Mbps ~100Mbps
・下り:100Mbps   


そして、使用する人が建物内で増えると遅くなる。
でも、住民は超高齢者が殆どなので一気に最近使用する人が
増えたとも思えない・・・
それにここに越してきて8年。
これまでそれなりにそれなりだった。

となると、うち?モデム?ルーター
ちょっと一度、電源切ってみるか・・・
ってことでやってみたら改善したという・・・(;^ω^)

おかしいと騒ぐ前に基本でしょ!って叱らないでぇ~(笑)

これから皆さんのブログをサクサク読むことができます(*^^*)

 

HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)?

あまり真剣に考えたことが無かったのですが
ふと目について読んでみたら・・・

studyhacker.net

 

えーーー!私のこと?!
でも、5人に1人はその傾向があるというので
結構世の中いらっしゃる?

 

小さなころから人の顔色をよく見ていました。
「今どんな気持ちなんだろう」と
大人になって「言いたいことが言えない」ことが
増えてきて、それは「自分が良い人と思われたい」と
いうのとはちょっと違って、いや・・多少はあります。
それよりも私が言うことで「嫌な気分になるんじゃないか?」
とか「傷つくんじゃないだろうか?」といった感じです。

女友達に誘われて断れないのは、相手が傷つくとか淋しい思いをするのじゃないか
そう思ってしまいます。

例えば、10回くらい通っている美容院でカットしてもらって、出来上がり
「こんな感じですが、いかがでしょう?」と後ろ側に鏡を当てて言われますよね。
あら?伝えたこととちょっと違うなーと思っても、
「もっとこんな風に」とか言えないです。
それは、プロである相手の仕事を否定することになる。と思うからです。
「これで、良し」と思っているから仕上がったわけですよね。
プロとしてのプライドや自信があると思うのです。
よくわかりませんが、ここの流れからこちらに向けて計算されたカットなのでしょう。
で、私は「はい、良いです」と言ってしまいます。
今から「もう少しこんな感じで」と言ってしまうと、
「最初からやり直しだよ~」って思われるのかもと思うのです。
椅子から立ち上がって、床に落ちている髪の毛を見ると少ない・・・
全然切ってないなー・・・
私、5cm位カットしてレイヤー多めで。っていったよね・・・
言えなかったために満足いく仕上がりにはなっていないので
心では悶々としています。


だけど、この件に関しては、なぜそう思うようになったかと言えば、
以前の美容院でやる気のなさそうな60代後半の男性美容師に
言われたからです。
「あの・・・もうすこしこのサイドのところを切ってください・・・」と私。
すると彼はムッとした顔で「ここはトップのこの位置からの繋がりになっているから
切らない方が良い」と言ったのです。

そのことがあってから、言ったら嫌なんだろうな。
じゃ、我慢しよう。となっていきました。

日々の中でそういったことが割とあるので
一人になりたくなります。
誰にも気を遣わず一人になれる時間が必要です。
一人時間はリフレッシュで、ストレス発散なのです。

 

 

帯状疱疹体験記

20年前の事です。

あれは、やっと涼しくなってきた9月下旬。
夏の暑さの疲れや
当時の仕事の激務で睡眠不足気味の日々でした。

1日目:急な雨に降られて帰宅したところ
左側の腕と脇腹辺りが軽くピリピリとした
痒いような痛いような?皮膚の違和感を感じる。
濡れた服の繊維せい??程度に思っていた。

2日目:「おかしいなぁー」
まだピリピリした感覚がある。
すると突然、左胸に痛みが走る
その痛みというのがまさに激痛で私は、心臓が悪いのかと
不安になる。しかし、心臓というよりは
左の胸、乳房の辺りが差し込み痛むような気が・・・
激痛は時間を追うごとに頻繁に発作のように起こる。

3日目:痛みは治まらず、それでも生きているのだから
心臓ではないのか?と痛み止めも飲まずに我慢する。

4日目:昼過ぎ左胸外側に5mm程度の発疹を発見。
胸に感じる差し込む痛み、加速度を増す。
1時間に何十回も激痛の波が襲ってくる。
傷みがくるたびビクッとなる。

5日目:発疹が脇腹、背中にも出現
体の片側だけの痛みと発疹。
「これは、帯状疱疹ではないか?」と思うようになる。

私はドラッグストアで働いていたので何となく知識はあったけど
経験がなかったので確信は持てない。

皮膚科を受診、【帯状疱疹】と診断される。
抗ウイルス剤のアシビル服用開始
ボルタレン服用後、痛みが落ち着くまでかなり時間がかかる。
痛みで、なかなか寝付けない。一旦眠ると痛さを感じないが
眠りが浅くなってくると激痛が襲う。

6日目:発疹は左胸全体と脇腹背中にも広範囲に広がる。
ボルタレンが切れると激痛の嵐。
鎮痛剤の副作用か、胃痛がし、お腹の調子もかなり悪い。
でも、食欲はある(笑)

7日目:発疹は小さな水泡が沢山集まり赤みを帯びて一塊となっている。
発疹は、またも、広範囲に広がっている。差し込む痛みも変わらず激しい。

8日目:今日で1週間が経った。いつになったら治る?
痛みの為睡眠不足が続く。クタクタだ。

9日目:最初に4日分貰った内服の抗ウイルス剤が無くなった。
もう、3日服用することに。先生曰く私の場合ウイルスが強いそうだ。
痛みがとれないようだったら入院。硬膜外ブロック療法をと言われる。

10日目:発疹は、最初にできたところは破れて瘡蓋だったりして乾燥してきた。
発疹自体はさほどの痛みやかゆみは無いが、差し込む激痛が辛い。
この激痛というのが・・・
【焼けた火箸を突き刺されてグリグリされる感じ】
オーバーかもしれないけど本当にそんな感じ。
ヘルペス薬の点滴が始まる。

11日目:朝起きると差し込む激痛が痛みへと変化。
発疹は水泡が殆どが破れて大変なことに。これが肌着とこすれて痛い。
化膿しませんようにと願う。抗ウイルス剤の軟膏を塗り続ける。


その後、日を追うごとに痛みも軽減され、水泡も枯れて治っていきました。
すっかり良くなるまでには私の場合は2週間以上はかかったと思います。

最初に皮膚の痛みやかゆみの違和感があり、
発疹がでるまでタイムラグがあるようです。
なので、その痛みから整形外科等に行かれる方も多いそうです。
治療が遅れることも多々あるそうで痛みを長引かせないため、
なるべく早く抗ウイルス剤を始める方が良いです。
帯状疱疹後神経痛を防ぐためにも。

帯状疱疹に一度かかると10年は抗体ができて
かかりにくいですが、10年を過ぎると再度かかる可能性も高くなり、
アレルギー体質(花粉症など)の方は特にかかり易いと医師が教えてくれました。
しかし、それ以前に疲れを貯め込まないストレスをため込まない
免疫力が落ちると体調は崩しやすいです。

既に20年が経ちました。
怖い怖い・・・(;^ω^)

今日は雨の一日です。

気分が沈みますねぇ。。

というのもお昼に兄にちょっときつめに言葉を言われたからです。
兄、電気工事士なんですけど、今の時期は3月の年度末に向けて
公共工事の工期が迫っていて死ぬほど忙しいのです。

毎年、そうなのですが、今年は特に人手不足で、毎日帰りが遅く
睡眠も満足にとれていない日々。
休みも何か月もない状態からのこの時期に突入です。

毎晩、うちに晩御飯のおかずを取りに来るときには死んだように疲れ果てています。

おまけに・・・
数日前から酷い鼻声。風邪をひいています。コロナも考えたりするのですが
咳はないようなので、できるだけ人と接触しないよう気を付けるように
言っています。まぁ黙って黙々と働く人ですけど。


受診する時間がないので、今、市販の風邪薬を飲ませているのですが
現在、服用している高血圧の薬との相互作用で少し気になるところがあり
なおさらのこと体調が気になります。

なので、ちょくちょく(1日1回)電話で体調を聞くのですが、
兄は忙しくて、その数秒間もイラつくのでしょう。

「忙しいのにくだらないことで、電話するな!」と言われました・・・

全然くだらなくなーーーーい。

もうね、電話切った瞬間に涙がつーーーですよ。(TдT)

うちは私が、中学生の頃に両親が離婚して、母と兄と私の3人家族で、
兄は軽度の自閉症なので、母は、とても兄のことを気に掛けていて
よく「私が死んだらお兄ちゃんのこと頼むよ、離婚して帰ってきて」
とまで言っていましたから。なんちゅー母親だ。
ま、それほど心配だったのでしょうねぇ。

母と二人で暮らしていましたが、母は認知症になり兄と二人で母を10年間介護して
4年ほど前に亡くなりました。

兄は独身で1人暮らし、なので私は母親のような気持ちになってしまうのです。
ま・・・心配しすぎる嫌いがあるのですけどね

いずれにせよ、まだしばらく心配な日々が続きます。

 

 

 

 

新聞配達

私は、小学6年生の時に
ミッキーマウスの腕時計が欲しくて
夏休みから朝刊の新聞配達を始めたのです。

買うためのお金はひと月で目標を達成しました。
当初すぐにやめることができるのだと思っていたのですけど
世の中そんなに甘いものじゃない・・・と
小6にして知りました。
次に配達員さんが入らないとやめることはできない(;^ω^)

その頃、新聞配達をする子はわりといて、
とはいっても皆夕刊で、さすがに女の子で朝刊を配る子は私だけ。
もう、うろ覚えですが5時頃に新聞販売所に行って自転車の前かごと後ろの荷台に
新聞乗せて、肩から脇にかけた新聞バッグにも新聞をいれて出発。
自転車に載せきれなかった新聞は、決まった場所に販売所のお兄さんが
持って行ってくれています。
スポーツ誌を含めて130部くらいだったのかな、今考えると結構な部数だったのでしょう。
私は目覚ましが無くても起きられる子で、朝が早いのも全く心配のないタイプ。

始めたのが夏だったので、周りも明るくて楽勝なんですよ
それが段々と夜が長くなり、暗い中、配ります。
暗いと怖いわけです。そこは子供ですから。
一度雨の日に、荷台に載せた新聞にかけたゴム紐が甘かったのか
角を曲がった瞬間に外れて新聞を道路にばらまいてしまい
大泣きしたことがありました。
どうしていいのか分からず、泣きながら茫然と立ち尽くしていたら
そこへ偶然、販売所のお兄さんが車で通りかかって
めちゃくちゃ怒られました。
怒られたのは、新聞をダメにしたことではなく、すぐに販売所の大人の人に
助けてもらおうとしなかったことでした。

次第に季節は冬となり、雪が降ったりします。
最悪は霙だったりします。軍手も濡れて、冷たくて手が痛い。

お正月の元旦、これはもう異常にチラシが入っていて
1部の重いこと・・・。なかなか大変で時間内に配り終えることが難しいと
助けてもらったと記憶しています。

で、
朝から一仕事した私は腹ペコです。
食べる食べる
だから・・・
すっごい太った・・・


その後、新聞配達は中学生になり部活が忙しく
無事辞めることができました。
なので、実質9カ月という短い期間でしたが、
よい体験をしました(*^^*)


実はですね。内緒ですけど(誰に?)(* ´艸`)クスクス
この頃、高1の男の子と付き合っていました。
彼も新聞少年でした。
あーもちろんプラトニックですよ。
交換日記をしていて、「最初は妹のように思っていたけど
今は一人の女性として好きです」と書かれていて
いきなり怖い・・・と思い始めてしまって
私もちゃんと恋をしていたと思うのですけど
オトナを意識したのでしょうね。
彼は公立の定時制高校に通っていてカワサキのナナハンに乗っていて、
毎日うちの前を通るのですけど狭い道なのでエンジン音で分かるわけです。
それすら怖くなって「もう、勉強しないといけないから
日記もやめます」と言って終わりになりました。
それから30年後の私42歳の時に彼を見かけました
小学生にサッカーを教えるコーチになっていました。
声はもう掛けませんでした。
昔のままの優しい横顔でした。

 

あーーー、今日も長くなってしまったわー(;´Д`)